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秘書育成コンサルタント 元外資系企業秘書

永田 美保子(Mihoko Nagata) 

プロフィール仕事編

詳しいプロフィール子供時代から今まで編

プロフィール仕事と介護の両立編

  

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コラム目次一覧

コラム目次一覧はこちらです!



第1章:在宅秘書と一般の秘書の違い

第2章:在宅秘書を始めるにあたって

第3章:実際に仕事を始めるための知識

第4章:準備編 在宅で仕事をするために用意するもの

第5章:スキルアップしたいとき・困った時には

第6章:自分に合った在宅業務とは?

第7章:業務内容別・仕事の選び方

第8章:在宅秘書からさらに進んでキャリアを考えたとき

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プロフィール・プライベート編:秘書業と育児・介護は両立できる? 

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こんにちは、

永田 美保子と申します。

 

このブログにご訪問いただきありがとうございます。

 

20年間以上、エグゼクティブ秘書として外資系企業等

勤務してきました。

 

一口に秘書で20年といっても、秘書の枠だけに

とらわれず、会社の業務改善プロジェクトなどを

お手伝いしたり、社内のウェブサイトを構築する

など、全社をまとめるようないろいろな業務に

携わりました。

 

今、ご縁があってこのようなブログを作成すること

になり、その時の経験が生かせているように思います。

 

秘書という立場に関して言えば、プロフェッショナル

(専門職)な仕事ではないということで、特に欧米では、

単なる「セクレタリー」は地位が低いと思われて

しまっている面もあります。

 

エグゼクティブ・アシスタントという管理職並みの職務

になって初めて経営者の右腕と言えるような位置づけです。

 

 

私は秘書キャリアの後半は、エグゼクティブ・アシスタント

として東京オフィスを代表する立場の方の秘書をしつつ、

若手の方の秘書トレーニングなども担当していました。

 

 

業務では、来る日も、スケジュールを作っては変更し、海外出張を

組んでは変更し、レストランを予約してはキャンセルし…

 

とにかく変更・調整が多い仕事なのです。

 

立場上、社会的ポジションの高い方たちにも多数直接お目にかかる

機会を得ました。

 

そういった方々と接することを通して、本当に偉い人は

とても謙虚であるという真実を学ぶことが出来たのは得難い収穫でした。

 

他にも、仕事を通して多くのかけがえのない出会いにも恵まれて、

今こうしていることにつながってゆきます。一見遠回りのように

見えて無駄なことは一つもなかったと言えます!

 

ただ、いまだに、お付き合いのある現役秘書の方たちを見ていて

心に引っかかることがいくつかあります。

 

たとえば、

 

  • 秘書業務はいつもオフィスにスタンバイして

いないとできないのか?

  • 秘書は何をしているのか、一般の社員に理解されていないため
    業務内容を誤解されている。

 

  • 一部の社員にはお茶を入れているだけの仕事だと思われている?

 

などなど、理不尽な(?)事もいろいろあります。

 

特に私にとっては、オフィスにいないと仕事にならない、

という時間・場所の問題は切実でした。

退職したのも、もともとは家族のことがあって

オフィスに毎日決まった時間に出社することが難しくなった

からでした。

 

その時は、秘書業務は仕事柄、常にプライベートより

仕事を優先できる恵まれた人にしかできない、融通の利かない

仕事なのだな、と思い知りました。

 

現代のライフスタイルに合わせ、男女ともに、

子育て・介護などに対応して働きやすくするために

リモートワーク・在宅勤務を推奨している良い会社では

あったのですが、秘書だけは例外でした。

(この場合、仕方ありませんね)

 

 

 

他の会社でも、出産、育児、介護等をきっかけとした

女性の退職(復職できないケース含む)について、多く耳にします。

 

 

 

 

仕事を何らかの形で続けてゆきたい人、経験・能力のある人が

多いのに本当にもったいない。。。

 

なんとか、今までの働き方をうまく変えて、能力を生かし

ながら時間と場所にとらわれない形で長続きできる形にして

ゆけないだろうか。。。。

 

ということが、今、私が真剣に考えていることです。

 

 

このブログでは私が実際に自分で行動して知った情報を中心に

本当に役立つ情報を厳選して皆様にお伝えしてゆきます。

 

ブログをご覧になって、良くわからないこと、ご質問、

こんなことを知りたいなどのリクエスト、

また私へのご意見など、どうぞお気軽にお寄せ下さい。

 

お問い合わせはこちらのフォームから⇒ 

 

 

他の方たちにも参考になると思われるものは、質問者の方に

許可を頂いたうえで、記事の中でシェアする形でお答えして

ゆきますね。

 

 

 

 

 

 

 

本当に大切なものは目に見えない

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こんにちは。

 

永田美保子です。

 

私、だいたい2-3年毎に、

本当に桁外れのすごい人と出会います。

 

 

 

絶対にワクに収まらないようなスケールの大きい

偉業を成し遂げる人。

 

 

今でも覚えているのはジョイス(仮名)という

数年前に帰国するまで教わっていた私のマンツーマン

の英会話の先生。

 

オーストラリア人で私より20歳くらい若い方。

当時は東京に自分の盲導犬と、パートナーと一緒に住んでいた。

 

 

その、ジョイスの活動のすごいところを

リストアップしてみます。

 

実は全く目が見えない

全盲だけれど音声認識PCを使ってテキストも

スキャンしたものを読み取って普通にタイプ

したりしながら英会話の先生をこなしている。

 

・視力のハンデを感じさせない空間認識力のすごさ

コピー用紙を取りに行ったり、ミネラルウォーターを取りに行ったり

自ら生徒のためにしてくれる。

ふつうに英会話教室のオフィスの中を見えるがごとく歩き回る。

 

点字をすべて誰よりも早い6か月でマスターした。

 

・3Dの立体の図形を頭の中に浮かべて作業できるらしい。(大学時代は

インダストリアルデザイン専攻で卒業式は総代でスピーチした)

 

・人の様子に敏感で、雰囲気や声で相手のコンディションがわかる

目が見えないから余計にそうなのだろうと思いますが。

英会話の先生というよりメンタルコーチのような面も。

 

・とにかく頭の回転が速くて語彙が豊富。

レッスン終了時にもらうレッスンレポートのタイピングの速さは

ずば抜けていた。(健常者の他の先生の方が遅いくらい)

 

・オリンピック選手パラリンピックの)でもあり、ウェイトリフティング

など何種目かで活躍している。

 

・自分で事業を起こしているビジネスオーナーでもあり、

アスリート向けのレッスンプログラムや英語教育関連のビジネスコンサルティング

などいくつかの事業を行っていた(英語の先生は副業)。

 

・・・以上、これらは全部当時20代半ば、全盲の東京在住外国人女性の話。

 

すごいチャレンジングな人だと思いませんか?

 

私、この人の活動の全容を知ったとき、それに比べて

自分は何やってるんだろう?と思ってしまいました。

 

当時、自分は英語に自信を持つためにこうして学んでいるけど、

この人の見えないところで行っている努力に見合うほどの

努力を自分はしてるだろうか?

 

目が見えて便利なことに感謝してるだろうか?

 

などなど。考えさせられることが多くて。

 

 

今でも時々、何か困ったことがあったときは

 

「スマートなジョイスだったら

こういう時どのように対処するだろう?」

 

と考えたりします。

 

また、この人が本当にすごいのは、こんな悪条件

(と私からは見える)なのに、驚くほど忍耐強くて

かつ前向きでリーダーシップがあるところ!

 

さらに、これだけ努力したら誰でも成功するだろう

と思えるところでした。

 

本当に、学ぶところが多い。。。

 

ちなみに彼女は今年の8月からのリオ・オリンピックのパラリンピック

カナダ代表として出場します!(パートナーがカナダ人なので)

 

私は日本から応援しています。

 

 

 

<在宅秘書講座について>

 

こちらからまとめて詳しくご案内しています。

 

講座でお会いできるのを楽しみにしています

 

 

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詳しいプロフィールその1:子供時代から学生時代、最初の仕事まで

こんにちは。永田美保子です。

 

私の事をもっと知っていただけたら嬉しいな、と思い、

私の子供のころから現在までのことを、プロフィール詳細版として

思い出しながら書いてみました。

 

その1からその3までとなってしまい、かなり長いですが、お時間のある時に

でもお読みいただけたら幸いです。

 

全体のリンクは下記です。

 

詳しいプロフィールその1:子供時代から学生時代、最初の仕事まで

詳しいプロフィールその2:海外留学から海外勤務まで

詳しいプロフィールその3:本格的に役員秘書を始めて退職 フリーランスとして個人事業主として

 

 

***********

 

私は栃木県出身で東京の大学で電子工学を専攻した

エンジニアの父と、静岡県出身で元銀行員の母の間に

長女として生まれました。

 

 

幼少期 埼玉県の米軍基地で異文化との出会い 4歳で米国人のご婦人たちに

囲まれて半分遊びで英会話を始める。

一方で、人前で歌って踊って絵をかくのが大好きなアーティスティックな変わった子。

一人遊びが大好き。4歳の時、妹が生まれる

 

小学生の頃 父の仕事の関係で埼玉県内で引越し3回、そのたびにおとなしい子になってゆく。

6年生の時は担任が厳しい国語の先生。指導いただいてとにかく文章を書きまくる。

学校を代表して読書感想文コンクールに出たり、新聞委員会の委員長など。厳しかった。

 

中学生の頃 テニス部に入るが、なじめなくて辞める。同時期、 虫垂炎で入院。

お見舞いに誰も友達が来なくてちょっぴりさびしい思いをする。

英語のスピーチコンテストに学校代表で出場。緊張のあまり頭が真っ白になり原稿がすっ飛んで入賞はなし。

このころなぜか音楽にのめりこむ。何か楽器をやりたくて電子オルガン(エレクトーン)を習う

 

15歳の時

*エンジニアで会社員だった父がついに脱サラで開業(当時は起業という言葉がなかったのです。)

 

父の事業の関係で埼玉から栃木に引越し。そのために受験生として栃木の高校を受験。

受験終了後、技術者ではあるが商人ではない父らしく、段取りの悪さから「住む家がない」事件が起きました。

(詳しくは別途。。。なんとも衝撃的な事件だったので)

 

それにしても女子高生にとってはなにかと負担の大きい日々でした。

 

高校生の頃 高校時代はおとなしい優等生。しかし在籍していた女子高での良妻賢母を求める教育方針に内心うんざり。

 

<高校時代のエピソード>

体育のダンスの授業では女子高のため半数が男役担当。
背の順で男役・女役を決めるので大きめの私はいつも男役!(宝塚か?)

男性パートとして社交ダンスを踊るのはとっても面白かったです。女性をリードするなんて。

おかげで今でも女性役のステップができません。(泣)

 

学校で行われた進路のための能力テストでは向いている職業がなぜか医者でした。

医学部なんて入れるはずがない(と思っていた)し、実際の進路指導に生かせない結果だとがっかり。

結局、希望していた文系や外国語学部は地元の学校にないため、理系のなかの文系と呼ばれた農学部

農業経済科受験へ。

 

*このころ父の事業は相変わらず全く軌道にのりませんで、経済的にはかなり困っています。

 

<大学受験時のエピソード>

郵政省の国家公務員採用試験に合格。大学に受からなかったらこちらに行くはずでした。

東京の大学(ICU)を記念受験。 庭が広くて驚きました。あと受験生がメイクしてるのも(帰国子女が多かった)カルチャーショック。

無事、地元の宇都宮大学に合格しました。農学部農業経済科の歴史が始まって以来、女子が10名を超えた学年でした。

 

 

大学生の頃 国立大学なのと奨学金、さらに授業料免除措置のおかげで、何とか学業続行できました。アルバイトはいろいろやってみて意外と楽しかったのは、塾の先生や家庭教師。ビジネスホテルのレストランでは人間模様が興味深かったのを覚えてます。

 

農学部だったので一年次は農業実習があり、初めてトラクターを運転したり、

牛の世話をしたり。農作業は大変でもあり楽しくもあり。

 

ゼミの教授が当時としては国際的な人で、外国人の奥様とも仲良くさせてもらう。

卒論はアジア経済について。 取材方法は今も変わりませんがこの時から体当たり(笑)。栃木県西那須野にあるアジア学院(アジアアフリカ各国の農業研修生に指導している)に取材に行って研修生と寝泊まりしながら国際援助についてのレポートを書く。

 

就職活動で東京の企業からも内定を頂き、ひそかに赤坂勤務をもくろむものの、一人暮らしの資金もなく、最終的には地元栃木県で自動車メーカーの研究所に入社。

 

仕事開始

 

初めての職場は自動車メーカーの研究所。

当然ながら人より車を優先するオフィスの構造にびっくり。

カリスマ創業者の本田宗一郎氏本人にお会いする機会もあって感激でした。

 

仕事があわなくて挫折の連続

 

一方、通勤時の車の運転が大変過ぎて(往復で約3時間)それだけで

疲れてしまって仕事にならず。また、地元採用の女子が長く続けられる

職場ではないこともわかりました。(お嫁さん候補としての採用で

キャリアプラン皆無)絶望して退職を決意。

そのころ栃木に進出してきた米国企業、P&Gのバイリンガル秘書を一年経験。

 

ところが!私の認識が甘かったことがわかります。自分の英語力では仕事に

ならないことがわかりました。

 

続きはこちらから 詳しいプロフィールその2 海外留学から海外勤務まで

 

詳しいプロフィールその2:海外留学から海外勤務まで 

詳しいプロフィール、その1の続きです。

 

海外留学

 

私の英語レベルでは全く仕事にならない、そこで一念発起して英国留学に行くことにしました。

なぜ英国かというと、会社の先輩に留学について相談したらアメリカだと車が必要とのこと!

 

車の運転が苦手な私は、行き先をアメリカから地下鉄で用が足りて車の不要な英国・ロンドン

に方向転換。(英国はそのころ政情が不安定で爆弾テロが毎日のようにありましたが。。。)

学校の手続は、自分で学校を捜し、FAXを送ってすべて自分でしました。

(当時は今のようにネット環境がありませんでした)

 

英国では、約10か月間ロンドン北部のハイゲートという住宅地ににホームステイ。

 

ジャーナリストで女社長の家主さんで面白かった(ここの滞在記でも一冊本が書けるくらい)

旦那さんは、建築家でイタリア仕込みの料理を作ってくれた

(奥さんが稼ぎ、旦那さんが主夫だった)

 

 

ロンドンの語学学校と公立カレッジに通ってケンブリッジ大学英検(FCE)に合格。

 

 

この海外経験を通して得たものは、それまでの私になかった

アイデンティティの確立というべきもの。

英語力の向上よりも自分に取って重要なことでした。

 

生まれて初めての家族と離れての生活でしたが、不安よりも開放感がありました。

 

 

そして、それ以上に、

 

自分はなんなのか、どういう人間なのか、何をしたいのか、ということをいつも問われている気がしました。

 

 

イギリスで出会った人たちには、日本人で女性である、ということ以前に

一人の人間として、扱ってもらってうれしかった。

 

 

このロンドンで、なんでもやればできる、あなたはなにをしたいのか、したいことをすればいいじゃない?

と言われ続け、自分の可能性が広がった気がしました。

 

また、自分に対しての信頼(自信)というものが得られました。

 

面白いことに、日本にいるときは常に周りの目、プレッシャーを感じていましたがイギリスではそれがなかった

のです。これは、私がここではガイジンだからか? と思っていたら知り合いの日本人女性のダンナさん

(英国人)も同様の事をおっしゃっていました。

日本に行くと周囲からプレッシャーを感じることが多い、と。

何もしなくてもプレッシャーを感じることが多い日本、生きづらいな、と思っていました。

 

 

 

日本に帰国、再びヨーロッパへ

 

そんな、責任もあるけど自由な外国から帰国。しばらく地元で英会話学校の教師をしていました。

そこで運命の出会いが。

 

当時のジャパンタイムズの広告で、北欧フィンランドの(当時、今ほどフィンランドは日本で良く

知られた国ではありませんでした)大型客船の乗務員として日本人ホステスを募集(ホステスって

エールフランスとかでも乗務員に対して言いますね)採用人数は若干名。

 

ヨーロッパに懐かしさを感じていた私は、面白そう!と思って応募することにしました。

 

同じ英会話学校に勤めていた、文才のあるライター志望のグレッグ君というアメリカ人男性が、

応募書類のカバーレターを書くのを手伝ってくれました。

 

このレターが、本当に素晴らしくて、まさに私が言いたかったことをすべて的確に表現しています。

 

結局、後で聞いた話だと2000人以上が応募して難関だった選考に合格し、採用になったのも、

すべての始まりは、このグレッグの書いてくれたカバーレターのおかげだと思っています。

 

後日、「グレッグありがとう」 とお礼を言ったところ

 

「僕はただドアを開けただけだから、後は君次第だよ!」

と心憎い切り返しをされました。

 

 

そういえば、この後も、私のキャリアの「ドアを開けてくれる人」

が次々と意外な時に必要な場所で現れるように思います。

 

 

さて、乗務員としてご案内要員としての仕事でのフィンランド駐在は夏場5月から9月までの約半年。

要は、日本人のお客様の多い夏の間だけです。

 

 

同期2人と私の合計3人の「日本人スチュワーデス」は

1994年5月の曇った日にヘルシンキへフィンエアーの直行便で着きました。

速攻会社が契約した宿舎であるアパートに向かいます。

1952年のヘルシンキ・オリンピックの際に出来た公園の近くです。

 

翌日から怒涛の勢いで派遣元である旅行代理店や関係各所を回り、

秘書の女性に来てもらって給与受け取り用の銀行口座の開設。お客様に案内できるように

ヘルシンキとストックホルムの駆け足での市内観光、その間に職場である船に泊まり

船内の設備の見学。

 

トレーニング期間の1週間はあっという間に過ぎ、いきなり仕事開始となりました。

クルーズ船は12時間をかけてヘルシンキとストックホルムの間を2層の船が往復します。

2名がそれぞれの船に乗っている間1名は1週間休み。

 

基本的に乗務は2週間通しです。 最初のシフトだけ一寸変則的に一人が早く終わらせてどこかで

勤務時間の帳尻を合わせます。

あまりにも変化にとんだ毎日で、乗務の間に無理やり観光もしてあっという間に9月。

日本に帰国したら1994年10月でした。

 

 

 

 

詳しいプロフィール その3に続きます。

 

 

 

 

 

詳しいプロフィールその3:本格的に役員秘書を始めて退職、フリーランスとして個人事業主として

詳しいプロフィールその2から続きます。

 

帰国 本格的に役員秘書業を始める

 

日本に帰国してすぐに、東京に住むために仕事を探しました。ちょうど台湾のコングロマリット、フォルモサプラスティック(台湾プラスティック)のPC部門FICが日本の拠点を立ち上げたのでそこの日本FICの社長秘書として働くことが決まります。

 

上司は台湾人の社長で、台湾の本社からは時々社長の上司でもある、実質的会社オーナー

の会長夫妻が訪問してきました。

この二人が本当に人間的にも偉大な方で、一緒に仕事できるのが光栄でした。

しかし、業務の縮小で1年足らずで会社を去ることに。

 

日本企業の副社長秘書

 

1995年、PCの世界ではウィンドウズブームなどいろいろあった年ですが、かかわり始めていたIT業界でのご縁が重なり、とあるオーナー企業の日系SI(システムインテグレーター)で秘書として働くことになりました。

 

担当上司が日本IBM出身の副社長なので、日本企業であっても外資向けの秘書が必要だった

という背景があったようです。

そして、今度はIBM流のやり方を学ぶために、一か月箱崎のIBM本社に通いました、当時このオフィスは営業部隊がつめているオフィスでした。

 

上司は優しいジェントルマンでしたが仕事面では非常に厳しく(当然ですが)、金融系システムの営業経験が長いことも関連してか、一つ一つのアポイントメントにに全身全霊を懸けて仕事をしていました。 つまり、なんとなく人と会うのではなく、自分の時間を切り売りしているのではなく、時間管理を徹底するということ。

スケジューリングについては語りつくせないほど事例があるのですが、一つだけ例を挙げてみます。

 

秘書側が面会のリクエストを受けて手配する際、下記のようなチェック項目があります。

ミーティング時間の長さは3種類 15分/30分/1時間 それ以上はありません。

 

・誰のリクエストによるミーティングか

・テーマ

・内容・何を話し合うのか

・それによって何が得られるのか(目的はなにか)

・所要時間 (15分/30分/1時間)

・場所(自分のオフィスか先方に赴くのかその他)

・備考

 

たとえ、15分のミーティングでも事前にこれをメモ書きにして副社長本人がOKしたものしかカレンダーにのせません。

したがって、ご挨拶に来ました、というだけの訪問は受けません。

 

今、私が多少の面倒なアポイント調整にも平然としていられるのは、当時の一日10件平均、

15分単位の外部との面談予約を調整・再調整してきたこの時の経験のおかげです。

 

副社長は一つ一つの仕事のクオリティに大変厳しく、「秘書を鍛える最右翼」 とご自分で

称していました。 筋の通らないことは相手がだれであろうと一切受け入れませんでした。

本当に良い経験でしたし、よく叱られました。

 

本当に、今の私があるのはこの時のK副社長のスパルタ教育のおかげといっても過言ではないです。

 

 

その後の外資秘書時代

 

このシステムインテグレーターC社のK副社長の退任に伴い、

日系企業の秘書を辞めてから、外資の秘書を極めることに決めました。

丸の内にある米国メーカーに入社。

 

この日本支社で主に外国人トップ付きの秘書としてのキャリアをスタートしました。

ここでは、通常の秘書業務に加えて、株主がらみの合併により、アメリカ100%の

日本法人から、日米合弁企業に変更となることがきまり、そのためのもろもろの

社内手続きに翻弄されながら仕事をしていました。

 

そんな中、常に、

日本とアメリカ

経営陣と従業員

マジョリティ(日本側企業出身者)とマイノリティ(アメリカ側出身者)

 

といった2極の間に入って調整をする役割で、精神の異常な消耗・感情労働に疲れ果てて

 

途中一度、2005年に退職しました。

 

その後、徐々に仕事を再開、ドイツ系企業でも秘書の仕事をする機会に恵まれ

 

2007年にご縁があって以前の日米合弁企業に復帰、再入社しました。

 

今度は、今までと同様の役員秘書業務に加えて、社内ウェブサイトや仕組みつくりの

プロジェクトも多く担当。

2011年の震災の時は特命事項的な役割もあり外国人の脱出を手伝う担当者

として、アメリカからの最新情報によって対応に当たりました。

 

また、管理職候補として(現職秘書でありながら)

 

 部下の到達度別トレーニング(SL2)

 ロジカルシンキング

 シックスシグマ (経営品質改革プロジェクト)

 

などのトレーニングを受けたりしました。

 

社内では若手、後輩の秘書の方たちやセールスアシスタントの方向け

に秘書の基礎トレーニングも提供したりしていました。

 

 

介護休職から退職、フリーランスで独立へ

 

一方プライベートでは、田舎の両親ともに「お手伝い以上、介護未満」

のケアがだんだん必要になってきました。

また、都内に住むもうひとりの母は要介護認定。

 

時には週末も拘束されるエグゼクティブ秘書業務は急な自己都合では休めない

ため、精神的にも体力的にも仕事を続けるのが難しくなり、

介護休職させていただくことになりました。その3か月後、復帰の見通しが立たないため

退職します。

 

翌年、フリーランス秘書業、ライター業として独立して個人事業主として在宅秘書育成カウンセラーとしての活動を始めました。

 

まだまだやりたいことはたくさんあります。

これからも自らの決めた道をまい進してゆきたいと思います。

 

ここまでの長文をお読みいただき、ありがとうございました。

 

永田 美保子

 

 

プロフィール 仕事編

 

こんにちは、はじめまして。

秘書育成コンサルタントの

永田 美保子と申します。

 

このブログにご訪問いただき、

ありがとうございます。

 

私は1990年代半ばから約20年間、

東京の外資系企業・合弁企業などで

外国人・日本人両方の役員秘書として

勤務しました。

 

現在は退職し、秘書育成コンサルタント・

セミナー講師・コラムニストとして活動しています。

 

以下は私の略歴になります。

 

★職歴・資格★
大学卒業後、自動車メーカー研究所・米国メーカー勤務の後、

英国へ語学留学。

 

その後1994年に北欧に駐在しフィンランド・スウェーデン

間の定期航路クルーズ客船に日本人キャビンアテンダントと

して乗務。日本人乗客・VIPの対応にあたる。

 
日本に帰国後 外資系・日系企業両方の役員秘書業務に

2014年10月に退職するまで通算約20年携わる。

 

秘書として担当した上司は、日本人では一部上場企業の代表取締役、

外国人(出身地:英・米・ベルギー・カナダ・オーストラリア・

ブラジル・台湾)は海外本社のエグゼクティブVP以上の役職の

トップマネジメント。
業務内容としてはスケジューリング、駐在員家族の対応、ぺットの動物

検疫から100名規模のオフサイト会議設営、プライベートジェットの

手配まで幅広い経験を積む。

 

その他の業務としては一年間、商社の翻訳担当としてニュース記事の

ヨーロッパ諸国向け翻訳(日⇔英)を担当。

 

別途、通訳(随時)としてはメディア関連・海外アーティストとの

スカイプ会議の通訳などを手掛ける。

 

他には、英語インタビュー画像の日本語化(テープ起こし)、手紙の作成

などを得意とする。

 

2015年4月から11月まで会社経営者の在宅個人秘書(海外対応)を担当。
2016年3月から エグゼクティブ層向けコラム記事を

マイナビ・エグゼクティブエージェントウェブサイトに執筆中

(署名入り寄稿)

 

その後、在宅秘書の育成、ビジネスパーソン向け英文メール

の指導などから講師業を開始。

 

現職秘書向けにはスキルアップだけでなく、マインドセット

に重心を置き、「自分史上最高の秘書」、をキーワードに、

自らのポテンシャルを最大限に生かし楽しんで仕事をする

ことの大切さを伝え続けている。

 

そのために自身の幅広い体験をベースにしたオリジナル

の秘書講座、個人コンサルティングを行っている。

 

また、海外留学、北欧でのクルーズ・キャビンアテンダント業務と

外資系・日系企業でのエグゼクティブ秘書の経験を通じて自然に

培われた、外国人VIPにも日本人VIPにも相手に合わせて自然に対応

できる接客スキル、各地域の文化や背景を十分に理解した対応等を

評価され、インバウンドの来客が多い職場の秘書からの接客の

指導要請もいただいている。

 

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