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秘書育成コンサルタント 元外資系企業秘書

永田 美保子(Mihoko Nagata) 

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コラム目次一覧

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第1章:在宅秘書と一般の秘書の違い

第2章:在宅秘書を始めるにあたって

第3章:実際に仕事を始めるための知識

第4章:準備編 在宅で仕事をするために用意するもの

第5章:スキルアップしたいとき・困った時には

第6章:自分に合った在宅業務とは?

第7章:業務内容別・仕事の選び方

第8章:在宅秘書からさらに進んでキャリアを考えたとき

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詳しいプロフィールその2:海外留学から海外勤務まで 

詳しいプロフィール、その1の続きです。

 

海外留学

 

私の英語レベルでは全く仕事にならない、そこで一念発起して英国留学に行くことにしました。

なぜ英国かというと、会社の先輩に留学について相談したらアメリカだと車が必要とのこと!

 

車の運転が苦手な私は、行き先をアメリカから地下鉄で用が足りて車の不要な英国・ロンドン

に方向転換。(英国はそのころ政情が不安定で爆弾テロが毎日のようにありましたが。。。)

学校の手続は、自分で学校を捜し、FAXを送ってすべて自分でしました。

(当時は今のようにネット環境がありませんでした)

 

英国では、約10か月間ロンドン北部のハイゲートという住宅地ににホームステイ。

 

ジャーナリストで女社長の家主さんで面白かった(ここの滞在記でも一冊本が書けるくらい)

旦那さんは、建築家でイタリア仕込みの料理を作ってくれた

(奥さんが稼ぎ、旦那さんが主夫だった)

 

 

ロンドンの語学学校と公立カレッジに通ってケンブリッジ大学英検(FCE)に合格。

 

 

この海外経験を通して得たものは、それまでの私になかった

アイデンティティの確立というべきもの。

英語力の向上よりも自分に取って重要なことでした。

 

生まれて初めての家族と離れての生活でしたが、不安よりも開放感がありました。

 

 

そして、それ以上に、

 

自分はなんなのか、どういう人間なのか、何をしたいのか、ということをいつも問われている気がしました。

 

 

イギリスで出会った人たちには、日本人で女性である、ということ以前に

一人の人間として、扱ってもらってうれしかった。

 

 

このロンドンで、なんでもやればできる、あなたはなにをしたいのか、したいことをすればいいじゃない?

と言われ続け、自分の可能性が広がった気がしました。

 

また、自分に対しての信頼(自信)というものが得られました。

 

面白いことに、日本にいるときは常に周りの目、プレッシャーを感じていましたがイギリスではそれがなかった

のです。これは、私がここではガイジンだからか? と思っていたら知り合いの日本人女性のダンナさん

(英国人)も同様の事をおっしゃっていました。

日本に行くと周囲からプレッシャーを感じることが多い、と。

何もしなくてもプレッシャーを感じることが多い日本、生きづらいな、と思っていました。

 

 

 

日本に帰国、再びヨーロッパへ

 

そんな、責任もあるけど自由な外国から帰国。しばらく地元で英会話学校の教師をしていました。

そこで運命の出会いが。

 

当時のジャパンタイムズの広告で、北欧フィンランドの(当時、今ほどフィンランドは日本で良く

知られた国ではありませんでした)大型客船の乗務員として日本人ホステスを募集(ホステスって

エールフランスとかでも乗務員に対して言いますね)採用人数は若干名。

 

ヨーロッパに懐かしさを感じていた私は、面白そう!と思って応募することにしました。

 

同じ英会話学校に勤めていた、文才のあるライター志望のグレッグ君というアメリカ人男性が、

応募書類のカバーレターを書くのを手伝ってくれました。

 

このレターが、本当に素晴らしくて、まさに私が言いたかったことをすべて的確に表現しています。

 

結局、後で聞いた話だと2000人以上が応募して難関だった選考に合格し、採用になったのも、

すべての始まりは、このグレッグの書いてくれたカバーレターのおかげだと思っています。

 

後日、「グレッグありがとう」 とお礼を言ったところ

 

「僕はただドアを開けただけだから、後は君次第だよ!」

と心憎い切り返しをされました。

 

 

そういえば、この後も、私のキャリアの「ドアを開けてくれる人」

が次々と意外な時に必要な場所で現れるように思います。

 

 

さて、乗務員としてご案内要員としての仕事でのフィンランド駐在は夏場5月から9月までの約半年。

要は、日本人のお客様の多い夏の間だけです。

 

 

同期2人と私の合計3人の「日本人スチュワーデス」は

1994年5月の曇った日にヘルシンキへフィンエアーの直行便で着きました。

速攻会社が契約した宿舎であるアパートに向かいます。

1952年のヘルシンキ・オリンピックの際に出来た公園の近くです。

 

翌日から怒涛の勢いで派遣元である旅行代理店や関係各所を回り、

秘書の女性に来てもらって給与受け取り用の銀行口座の開設。お客様に案内できるように

ヘルシンキとストックホルムの駆け足での市内観光、その間に職場である船に泊まり

船内の設備の見学。

 

トレーニング期間の1週間はあっという間に過ぎ、いきなり仕事開始となりました。

クルーズ船は12時間をかけてヘルシンキとストックホルムの間を2層の船が往復します。

2名がそれぞれの船に乗っている間1名は1週間休み。

 

基本的に乗務は2週間通しです。 最初のシフトだけ一寸変則的に一人が早く終わらせてどこかで

勤務時間の帳尻を合わせます。

あまりにも変化にとんだ毎日で、乗務の間に無理やり観光もしてあっという間に9月。

日本に帰国したら1994年10月でした。

 

 

 

 

詳しいプロフィール その3に続きます。

 

 

 

 

 

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